2025/07/24
「ヒアシンスハウス 風信子荘」と名付けられ、詩作や建築デザインのために過ごすことと、友人たちとの交流の場であったようです。
立原道造が建築家だったことを知りませんでした。詩人としての知名度の方が高かったのでしょうか。因みにこの建物は、立原の死後六十数年を経て、初めて実現しています。
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